YURAGI WORLD

中学受験2人終了&次は数年後&加えて日々の徒然を綴ります

トラウマ

 

父娘で勉強して、父娘で「上」の世界を見てみたい。

http://sakuramichi.hatenablog.jp/entry/2016/03/06/183008

 

 

という文章を今朝、桜道さんのブログで読んで、胸がドキっとしました。

 

私はその台詞を30年も前に両親に何度もいい聞かせられて育ちました。

 

今も心にトラウマのようになって声がこだまします。

 

それで十分だよって両親から言われた事がありません。

 

褒められた事はあるけど、記憶には残っていないんです。

 

もっと。

もっともっともっと。

もっともっともっともっともっと。

 

ずーっと上に。

 

その結果、親の希望する大学を出ましたが、エリートになった後の生活に喜びはなかったんです。

 

親が望んでいる「エリート」になったけど、それで終わったような感じで、心のなかは空っぽでした。もちろん自分で選択した興味のある分野の勉強も研究もしました。それで手に職もつけた。

 

でも、じゃ、何のために働いているのか、私はその後なにを目標にするのか。お金を稼いで、どうすればいいのかとか、当時の私は親の望み続ける「エリート」の意味が全くわからなかったんですね。

 

どうやったら親が満足してくれるのか、そんなことを考えていたことを覚えています。

とても苦しかった。

 

親も私も世間知らずだったのだと思います。

 

学歴さえあれば、チャンスは無限だと信じていた父。

そんなに単純じゃないことは社会に出てから知りました。

 

学歴がなければ、チャンスも少ない社会なんだということもよくわかりました。

だから両親の言った貧乏人の逆転ホームラン計画の発想は間違いではなかったと思います。

 

それでも、両親から、今もまだ満たされたい、愛されたい、認められたい欲求が、何十年経った心のどこかにあり、時々チリチリと痛みます。

 

もういまさらその欲求をかなえる事は無理ですが。

 

結局、私は今、毎日布団の干せる暮らしをしています。子どものお弁当を作ったり、おやつを焼いたり。近所の人と笑い合ったり。

 

両親に確かめた事はありませんが、親の望んでいたものとは全く違うのかな?と今もふと考えたりします。

 

おかしな物で、そんな私なのに、子どもたちに中学受験をさせる選択をしました。

 

私の両親のようには言いませんが、おもしろい学校もあるよと言って紹介しています。

 

私のように、余計なトラウマにならないように。

 

もちろんどう転んでも本人の人生のなかでの挑戦なのだという自覚も植え付けつつ、応援してあげたいなと思います。

 

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