合格と配慮の議論は、卵が先か鶏が先かの延長なのか
インターエデュで、早々と合格報告&エールがあり、それに対し、書き込みの配慮が足りない云々議論の暴風雨を見物中です。毎年こういう展開ってありますね。最後は書き込むな、読むな、とかそういう底辺のレベルまで議論が下がっていく。
仮に受験をスポーツ試合と置き換えて考えると、結果はどうであれ、挑戦することに価値があり、結果は結果として粛々と受け止め、分析し、次の挑戦の備えとする。
オリンピックで優勝してガッツポーズしたら、銀メダルの人に対する配慮が足りないと批判されることはまずないですね。
では、なぜ受験掲示板で、配慮が必要という議論が展開されるのか。しかも親レベル(つまり試合にでない周りの応援団たち)のなかで。
不思議だなぁ。
もしかすると。親(応援団)の中で、試合にでる本人と一心同体化しているタイプと、本人と親はあくまで他者であるタイプが混在しているからではなかろうか。
子が一度の受験に失敗しようが成功しようが、親の失敗や成功ではないのだけど。そこの境界が怪しいと、親の存在否定、しいては自己否定されているような気持ちになるのではないか。自戒も込めて。
ただ掲示板やネット、誹謗中傷は不要でお願いしたいです。幸せな言葉、優しい言葉は社会を明るくさせます。うちも桜咲いたよ。お宅も咲くとと良いね、そんな会話が否定されることは淋しい限り。うちがだめでもお宅が咲いたらいい気持ち。それが普通だわと思う、昼下がりです。
ところで、今朝は満開の桜景色。
本命も満開の桜が咲きますように。